ことばと思考

とても中身の濃い本である。
簡単に説明するのは不可能なので、印象の強かった文を羅列引用する。
何度か読み直したが、また読み直したい本である。

ことば思考」より

ことばは世界への窓である

ことばというのは、世界をカテゴリーに分ける。(言語学では「範疇」という)
カテゴリーとは同じ種類のモノの集まりである
・無限に存在する動作を、動詞によってカテゴリー化し、整理している
・言語は三次空間上に無限に存在する二つのモノの位置関係を、非常に限られた数の「位置関係のカテゴリー」に区分けし、整理している
・心理学では、「思考」はしばしば人が心の中で(つまり脳で)行う認知活動すべてを指す
・意識を伴った認知プロセスのみでなく、人が無意識に行っている「認識」行為を含めて、包括的に「思考」と呼ぶ
ことばを話し始める前の乳児も、ことばを持たないヒト以外の動物も、立派に「思考」する
・「認識する」は「思考する」に包含される
・「認識する」とは「○○とわかる」ということ

・単一形態素で表され、その言語の話者が「これは何?」と聞かれていちばん自然に出てくることばを「基礎語」と呼ぶ
・動詞は主に動作、行為、モノとモノとの関係のカテゴリをつくる
・ことばは動き方(動作の様態)で動作を区切り、カテゴリーをつくるだけではない
・動きの方向にもとづいて区別したカテゴリーを作る場合も多い。例えば「入る」「出る」「上がる」「下がる」
「抜ける」も「わたる」も、ある地点から別の地点に移動するときに、そこで通る場所がどのような特性を持つか、という情報が意味の一部になっている
・「前」というのは、話しての体を中心にして、目があるほうを「前」という場合と、モノにもともとある「前」(顔、進行方向、正面)を中心にする場合とがある
・前者は自己中心枠、後者はもの中心枠
・インドのハザウという言語では、正面(顔)のないモノは、自分と同じ方向に外に向いていると想定している
・ウォーフはアメリカ先住民のホピ族の言語であるホピ語の分析などをもとに、人の思考は言語と切り離すことができないものであり、母語における言語のカテゴリーが思考のカテゴリーと一致すると主張
隣接する二つのカテゴリーの境界にある刺激を、二つのカテゴリーの中間の曖昧な刺激として知覚するのではなく、はっきりとどちらかのカテゴリーのメンバーとみなすことを、心理学では「カテゴリー知覚」(あるいは「範疇知覚」)という
ことばを持たないと、実在するモノの実態を知覚できなくなるのではなく、ことばがあると、モノの認識をことばのカテゴリーのほうに引っ張る、あるいは歪ませてしまう
・コップのようなモノと、バターのような物質は、「同じ」という概念自体が異なる。つまり両者は、根本的に性質の異なる存在なのである。これを哲学では「存在論」的区別と呼ぶ
・日本語のように、可算名詞、不可算名詞を区別しない言語では、モノと物質の本質的な違いを理解できないのだろうか
・日本語話者がモノと物質の本質的な違いを理解せず、世界に存在するすべての対象を物質として認識するというような極端な言語相対性はない
・日本人は物質に注目して、物質が同じものが「同じ種類」とみなす傾向が強かったが、アメリカ人は、形に対して日本人よりもずっと強い注意を見せた
・どの名詞についても、必ずそれが可算なのか、不可算なのかを、明らかにしなければならないという英語の性質が、初めて聞く名前の意味を考えるときに、形に注目するように英語話者にバイアスをかける
・日本語では、モノを数える文脈でしか助数詞が使われないのに対し、中国語の助数詞は、冠詞および指示詞のような働きをする
・どの言語の話者でも、「似ている」という感覚にとって、道具、食べ物、植物などの、概念的カテゴリーの共通のメンバーであることは、助数詞カテゴリーの共通のメンバーであることよりも重要
・助数詞のカテゴリーは名詞のカテゴリーに比べ、メンバー間の概念的なつながりゆるいので、認識をひっくり返すほどの大きな影響はおよぼさない
・ドイツ語話者は大人になっても、動物の場合には生物的性と文法的性を混同してしまうようだ
・絶対座標でモノの位置を表現する言語の話者は、相対的にモノの位置関係を表現する話者に比べて、デッド・レコニングの能力も秀でている
・言語の違いが位置関係の「同じ」という認識に影響を与えている
・自分の話す言語で空間関係を相対枠組みに則って表現する場合には、過去から未来への時間の流れを、自分を中心に、相対的に捉えて考え、自分の言語が絶対枠組みに則る場合には、絶対的な方位にしたがって特定の方位からその反対の方位へ時間が流れていると考える傾向がある
・大勢では、ウォーフ仮説は正しい
・私たちの見る世界は、ウォーフが考えたように、万華鏡のように変転極まりなく無秩序で、言語がないとまったく整理されない、というものではない
・様々な言語の間に潜む共通性を見出すのは、違いを見つけ出すよりも難しい
・異なる複数の言語の間に、共通性を見出そうとしたら、必然的に、表層的にすぐわかるものではなく、抽象的なレベルでの共通性になる
・すべての文はかならず名詞と動詞を含む(ただし日本語では名詞は表層的には省略される場合が多いが、文の深層では名詞はなくてはならない)、動詞には他動詞と自動詞がある、文はその中にさらに文を埋め込むことができる循環的な構造を持つ、などの共通点を指摘したのが生成文法である
基礎語のカテゴリーのつくり方は言語の間でかなり普遍性がある
・心理学者のロッシュは、この「イヌ」や「ブナ」のようなレベルのカテゴリーを「基礎レベルのカテゴリー」と呼び、人にとっての言語、文化にかかわらず普遍的に、もっとも自然に世界を分割したカテゴリーである、といった
・言語、文化に依存しない普遍的なカテゴリーが存在し、普遍的な名前のつけ方があるのか、モノの世界に限っていえば、それは存在する
基礎レベルのカテゴリーは、科学的に分類される一般的な種のカテゴリーと、ほぼ一致するカテゴリーである
・基礎レベルのカテゴリーの特徴は、同じカテゴリーのメンバーの間で類似性が非常に高く、しかも隣のカテゴリーのメンバーとの類似性が低く、混同しにくい
・世界中の言語はモノ(特に自然に存在するモノ)基礎語で名づけていく際には、言語の間の一致度が非常に高く、それは科学的な分類の一般レベルとほぼ重なる
・一般的にモノの名前は、言語の間で普遍性が高い。あるモノのカテゴリーと、それに隣接する別のカテゴリーの間の境界が、知覚的に明確だからだろう。しかし、モノとモノの間の関係については、どこにも明確な境界線がない
・言語の間で、共通して注目し、区別する意味特徴は存在するし、モノの基礎語やアルク-ハシルのような、人の身体機能を直接反映した動きの場合のように、様々な言語が同じところで世界を区切る場合もある。しかし、全体的に見れば、言語が作り出すカテゴリーの多様性は非常に大きい
・誰にでも知覚可能な明確な区切りが存在する場合には、様々な言語の間に共通の普遍的傾向が強くなる。しかし、知覚的な類似性が直接訴えてくるモノの基礎レベルのカテゴリー分け以外の領域では、すぐにわかるような直接的な言語普遍性は薄まり、共通性は抽象的なところでのみ、見られるようになる
・音にしろ、色にしろ、物理的には連続的な、境界のない知覚世界に対して、言語は境界をつくり出し、実際には存在しないカテゴリーをつくり出す
・音の聞き分けのときと同じように、赤ちゃんはどの言語の環境にいても、最初はシーンのいろいろな要素にそれぞれ細かく注意をはらい、ちょっとした違いも見分けることができる。しかし、赤ちゃんがそれぞれ自分の言語を学んでいくうちに、自分の言語で区別しない要素に対して、注目しなくなってしまうのだ
・赤ちゃんは動きの時間・空間上の軌跡が連続しているかそうでないかによって、動いていたものが同じ個体か違う個体か、ということを決めることができる
・見た目の違いより、動きの連続性のほうが大事
・モノの見た目よりもことばが同じか違うかを頼りに、赤ちゃんは、時空間上に同時には存在しないモノが、同一のモノなのか、それとも二つの違うモノなのかを決めている
・子どもは、モノ同士の関係のあり方として、因果関係、連想関係、同じ属性を持つ関係、同じ材質からできている関係など、様々な基準での「同じ」が存在することに早くから気づいているのだが、どの「同じ」をいつ使うべきなのかがわからないのだ
・ことばを介して、子どもは直接経験したり教わったりしていないモノにどのような属性があるかを機能推論によって学習し、概念を構築していくのである
・ことばが存在しなかったら、幼児が素早いスピードで概念を学び、効率よく概念体系をつくり上げていくことは不可能なのである
・空間上のモノの位置を記憶したり、空間を探索したりするときに、言語が使えないと、複数の手がかりをいっしょに使うことができなくなってしまう
・「左」「右」などの、相対枠組みに依拠したことばを学習する前の子どもの場合、空間上のモノの位置の認識は、ヒト以外の動物と同様に絶対枠組みに従っている
・ヒトの子どもを含め、動物全般に普遍的に共有される認識は絶対枠組みの認識で、相対枠組みに従った空間の位置の認識は言語によってつくり出されたものである
・赤ちゃんが、音や色、動きのシーン、モノ同士の位置関係など、様々な場面において、非常に細かい注意を払い、私たち大人には気づかないような、些細な違いによく気がつく
・赤ちゃんが母語とする言語が、それぞれの分野での細かな違いを区別せず、まとめてしまう場合、赤ちゃんはそれらの区別に注意を向けなくなり、区別しなくなってしまう
・子どもは自分の母語を学習することで、その言語を使いこなすために、「見る」「聞く」という基本的な知覚の情報処理がすばやく正確にできるよう、不必要な情報に注意を向けないようにすることを学んでいるのである
・本来なら「見た目も性質もまったく違った」モノ同士を、なんらかの関係に基づいて「同じもの」とみなすことができるのは、人間の知性のもっとも重要な特徴のひとつである
・プレマックというアメリカの研究者は、チンパンジーに「同じ」と「違う」を表す記号文字を教えた。このチンパンジーは先ほどの機能的アナロジーの問題を行ったところ、偶然よりも高い確率でこれらの問題が解けた
・実験室の外の普通の生活場面で関係概念を自分から学習することは、まったく見られなかった
・言語によって、人間は、モノ同士の分類を超えて、モノを変数にした抽象的な関係のカテゴリーを自由自在につくることを可能にし、比喩や類推によって、実際には存在しない関係の類似性の気づきにまで発展させることができるようになった
・言語は、われわれ人間が環境を多様な見方で眺め、認識の基本的なパーツ、つまり、ヒト以外の動物の持っている、知覚能力、カテゴリー形成能力、推論能力など、基本的な認知能力のそれぞれを、用途に応じて組み合わせることを可能にしている
・言語は、子どもに、自分以外の視点から世界を眺めることを教え、世界を様々に異なる観点からまとめ得ることに気づかせ、様々な切り口、様々な語り方で自分の経験を語ることを可能にし、さらに、経験を複数の様々な視点、観点から反芻することを可能にするのだ。そのことに対する気づきそのものが、ヒトの子どもを、ヒト以外の動物が持ちえない、柔軟な思考へといざなう
・言語がこどもにもたらすものは、単にコミュニケーションの手段にとどまらない。子どもは言語を学ぶことで、それまでと違った認識を得る手段を得、思考の手段を得る
・言語は、私たちが様々な視点からモノや出来事について語ることを可能にした
・人間以外の動物と人間の子どもの間で大きく異なるのは、持っている知識を使って、さらに学習していく学習能力
・言語を学習することによっておこる、子どもから大人への、革命といってよいほどの大きな認識と思考の変容こそが、ウォーフ仮説の真髄
・無意識に何気なく見ている世界の見方や記憶に、ことばは大きな影響を与えている
・画像を見ているときにいっしょに見ていたことばの種類によって、脳の活動のしかたが違うことがわかった
・一般的に私たちが「見た」と表現している行為は、実は「注意を向けて認識した」という行為にほかならない
・ことばは、いま目の前で起こっている出来事の、どこに注意を向け、どの部分を記憶にとどめるのかということにも、大きく影響する
言語が使えない状況になると、カテゴリー知覚は消えてしまう
・私たちは世界にあるモノや色、モノの運動など、単に見ているわけではない。見るときに、脳では、ことばもいっしょに想起してしまうのだ。つまり何かを見るとき、言語を聞こうと聞くまいと、言語は私たちの認識に無意識に侵入してくる
脳は無意識に、そして自動的に、なんらかの形で言語を使ってしまうのである。言語を介さない思考というものは、言語を習得した人間には存在しない、という極論も、あながち誤っていないのかもしれない
・言語は人の思考の様々なところに入り込み、いろいろな形で影響を与える。世界に対する見方(知覚の仕方)を変えたり、記憶を歪めたり、判断や意思決定に良くも悪くも影響する。このように考えると、ここでもウォーフの仮説は正しい
・ある特定の概念カテゴリーは学習がしやすく、赤ちゃんは、言語の学習に先立って、その分野の概念の素地を獲得することができる。他方、赤ちゃんにとって、直感的な理解が難しく、言語なしでは獲得されないカテゴリーもある。言語の学習が進むにつれ、自分の母語の概念の色(概念の切り分け方)に染まっていくのだ
・様々な言語での概念地図の描き方、つかりことばによる世界の分類の仕方は、言語の間でまったく無秩序に多様なわけでなく、かなり共通性がある
世界に内在する非常に目立つ類似性-つまり、言語を持たない人間以外の動物や人間の赤ちゃんでも気づくことのできる類似性-を、言語が覆すということはめったにない
・私たちは言語のフィルターを通して、少々歪められた世界を見ている
・言語と思考の関係を考える場合に、もはや、単純に、異なる言語の話者の間の認識が違うか、同じかという問題意識は、不十分で、科学的な観点からは、時代遅れといってよい。いま私たちがしなければならないことは、私たちの日常的な認識と思考-見ること、聞くこと、理解し解釈すること、記憶すること、記憶を思い出すこと、予測すること、推論すること、そてし学習すること-に言語がどのように関わっているのか、その仕組みを詳しく明らかにすることである
・母語の情報処理を最大限に効率化するためにつくられたシステムは、必ずしも、外国語の音声処理や文法処理に最適なものとは言えない場合が多い。それどころかむしろ、外国語の情報処理にとって、必要な情報に注意を向けず、排除してしまう原因にもなっている

tag : ことば 言葉 思考 認識 カテゴリー 範疇 言語学 基礎語 ウォーフ仮説

直接プライミングの特徴



「記憶の心理学」から

プライミング効果とは、一般的にいえば、先行刺激の認知が後続刺激の認知処理を促進することである。プライミングの実験には、単語完成テストが用いられることが多い。先行刺激のプライム語と、後続刺激のテスト語(ターゲット語)が同じ場合を直接プライミングといい、異なる場合を間接プライミングという。
直接プライミングには以下の5つの特徴がある。

1) 想起意識がない

実験ではプライム語を一度だけ、覚えようとしない状況で見せられ、ほとんどそのプライム語を想起できないときに、単語完成テストを言葉の調査などと言われ行われる。完全に忘れてもできるというのがプライミングであるが、実際の実験では忘れていないということもある。

2) エピソード記憶とは独立である

96の単語を5秒間づつ見てもらい(「記憶してください」とは言わない)、1時間後、1週間後に単語完成テスト、再認テストを行う。 顕在記憶(エピソード記憶)を測定している再認テストの成績は、1時間後から1週間後にかけ、低下していたが、潜在記憶(プライミング)を測定している単語完成テストの成績は低下していなかった。

1時間後1週間後
再認テスト5723
単語完成テスト4847
(プライム語がない単語完成テストの正解は30前後)

意識的記憶と無意識的記憶とは、その記憶のされ方について対応していない。

3) 効果は長期間にわたって保持される

ほんの2,3秒間、それも1回だけ見るという経験の効果が、最大1年半後でも単語完成テストに現れるという研究がある。テストは異なるが、17年間保持されているということが実証されている。

4) 意味的処理よりも知覚的処理が重要である

プライム語ひらがな(「だいどころ」)、単語完成テストひらがな(「だい□□ろ」)のほうが、プライム語漢字(「台所」)、単語完成テストひらがな(「だい□□ろ」)よりも成績が良かった。ひらがなの「だいどころ」と漢字の「台所」では、意味は同じであるが、表記様式という知覚レベルで異なっており、それがプライミングの大きさの差となった。つまり、直接プライミングでは意味的処理よりも知覚的処理のほうが重要だという結論になる(ただし漢字条件でもプライミング効果は認められた)。

5) 年齢による差はほとんどない

プライミング効果は2,3歳の頃から見られ、高齢になってエピソード記憶の力が弱まっても、プライミングを含む潜在記憶は衰えない。

テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : プライミング 潜在記憶 単語完成テスト

喜怒哀楽の起源



1)基本情動理論
ハードウェアとしての神経生理システム(生得的プログラム)と各種情動カテゴリ(喜び、悲しみ、怒り、恐れなど)に生まれつき対応関係があると仮定。

2)社会文化構成主義
ハードウェアの構造上の制約を受けつつ、またあらかじめ存在する各種生物学的要素を材料にしつつ、ソフトウェアあるいはプログラムとしての各種情動が社会的経験を通して「徐々」に構成されると仮定。

3)構成要素的アプローチ
喜怒哀楽というような情動カテゴリは、あくまでも認知主体たる人間が「あると思い込んだもの」にすぎず、それは一回一回「そのつど」状況の細かい分析に応じて、あくまで「その場」で作られる。

などが代表的な情動の理論であるが、まだどれが優勢ということはないようだ。

tag : 喜怒哀楽 情動

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2013年11月発売
2013年6月発売
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Author:sai
宮城県出身。寅年生まれ。おうし座。B型。左利き。赤緑色盲。たそがれのプログラマー。

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