自律型建設ロボット
【シカゴ=中島達雄】周りの状況を把握しながら、自分の判断でブロックを積み上げる「自律型建設ロボット」を開発したと、米ハーバード大の研究チームが13日、シカゴで開かれている米科学振興協会の年次大会で発表した。
公開したのは全長18センチ、幅11センチ、高さ12センチの試作品で、7個の赤外線センサーと5個の超音波センサーを備える。ウレタン製のブロックを運び、ブロックを並べて足場を作りながら3段まで積み上げてみせた。
進歩はしているが、そのスピードはゆっくりして、まだ実用化の段階に至っていない。
あらかじめ、どのような物を作るかの指示を与えておけば、後は複数のロボットが自分の判断で動き、必要な場所に必要なブロックを積むことができるという。1台が壊れても、他のロボットが作業をカバーする。
「あらかじめ、どのような物を作るかの指示」を如何に簡単に与えられるかが重要である。
また指示の難易度をどこまで上げられるかは、ロボットの行動のバリエーションに制限され、その指示内容の理解は、ロボットの認識能力(コミュニケーション)に制限される。あらかじめ決められたパターンのみの行動と認識しか対応できなければ、すべてを実装しなければならない。
他のロボットとの協調よりも、行動と認識能力の向上に力を注ぐべきである。
行動も認識も基本的な能力のみ実装し、あとは自律的に拡張てきるようにしたい。基本的行動の組み合わせを試行錯誤で発見し(二本の腕を中央に寄せる=はさむなど)、成功と判断した場合、その行動をレパートリーとして記憶する。その際、その行動にたいして「はさむ」という言葉を行動との連合学習で獲得する。ここまで出来れば、胸を張って「自律」と呼べるだろう。
まだまだ人工知能の夜明けは遠い。
牛を追うカウボーイロボット
シドニー大学のチームが開発中のローバー(Rover)は四輪で走るロボットで、ゆっくりとした動きで20頭から150頭もの放牧中の牛を追うことができる。
ところが実際は、
いまのところ、ローヴァーは人が遠隔でカメラの映像を見ながら操作しているプロトタイプ版で、価格も100万豪ドルと高額だが、2年後には商用化が予定されているし、自律自走式も開発されているという。
ソフトウェア的にはそれほど難しくないと思われる。またこのようなロボットの応用範囲も広そうなので、今後拡大していくと予想。
私は今、顕微鏡で虫を追いかけるプログラムの開発に携わり、Z軸方向の制御を開発中である。焦点がぼけていることはわかるのだが、顕微鏡を上げればいいのか下げればいいのかまでは判断できず、試行錯誤でZ軸を調節し、失敗(数値が悪くなる)したら逆方向にするというプログラムを書いている。他にいい方法を知っている人がいたら教えてください。
植物に知能はあるか
さて「植物に知能はあるか?」と聞いて、「それってトンデモ?」と思った方もいらっしゃることでしょう。そう思われるのも無理はありません。なにしろ、「植物には感情がある」とか「植物は人間と心を通わせることができる」といった話には、似非科学に彩られた長い歴史があるからです。
という導入にはじまり、過去の杜撰な研究を紹介した後、
しかし今日では、「植物コミニケーション」は広く受け入れられています。
植物コミュニケーションというジャンルの中でも、近年とくに成果が上がっているのが「植物シグナリング」(植物が、仲間の植物や動物に信号を送ること)という領域です。たとえば、植物が昆虫にたかられて葉っぱをむしゃむしゃ食べられると、葉っぱからある種の化学物質が放出される。するとその物質に反応して、他の葉っぱが防御物質を作り始めるんだそうです。それどころか、昆虫の素性までもわかるような物質を空気中に放出することもあり、その物質に反応して、その昆虫の天敵が飛来するケースさえあるというのです。昆虫だけにとどまらず、たとえばアンテロープ(角の美しいウシ科の動物)にむしゃむしゃ食べられたアカシアは、アンテロープの消化を阻害する物質を作るそうですし、食害が進むとアンテロープを殺せるほどの毒物を作ることもあるらしいです。
という真っ当な研究成果を紹介し、
■地下植物ネットワーク
森の木々が作っている菌根ネットワークでは、情報だけでなく物資までも交換しているということが、放射性同位体を使った研究から明らかになっているそうです。ネットワークのハブとなる古い木(母なる木っていうやつですかね)が、条件の悪いところに生えてしまった幼木に、優先的に栄養を回すなどの采配をしていることや、最大で四十七本の木がネットワークにつながっているケースがあることもわかっているそうです。また別の研究によれば、一年間を通じて、モミの木とカリフォルニア月桂樹はが余剰糖質をやりくりしあって、お互いにより良い環境を作っていることもわかってきたとか。
このように応用の可能性があるものを紹介し、
かつて人間は、人間以外の動物に「知能」を認めることに抵抗してきました。そして今、それを植物に認めるかどうかは争点に上ってきているように見えます。
ともあれ、「知能」をどう定義するにせよ、植物に関して新しい知識が着々と得られはじめているのはたしかです。近い将来、わたしたちの植物観は、大きく塗り変えられることでしょう。そしてそれに対応して、人間の自画像もまた大きな変革を被ることになりそうです。
と結んでいる。
「知能」とはなんだろうと考えてみたが、定義しても仕方がないというところに落ち着いた。
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