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漢字が書けなくなった

 漢字を読むことには不自由しないが、書けなくなって久しい。「読む」という行為は毎日行っているが、「書く」という行為は滅多になしい(パソコンでの入力行為は含めない)。「書く」という行為を行わないと、その記憶が薄れていくのだろう。

 つまり「読む」「書く」という行為に使われる記憶は別々にあるのだろう。たとえば人の顔を正確に認識できても、その人の顔を書くことは出来ない(出来る人もいるが)のと同じと思われる。

 「読む」ときに使われる記憶は、他と区別が出来る程度に曖昧なものと思う。たとえば10円玉と100円玉は簡単に区別できるが、正確に「書く」ことは出来ない。区別するために必要な特徴までは記憶されるが、それ以上は(無意識だが)積極的に捨てられている可能性がある。「読む」ときに使われる記憶は、記憶の分類で言えば、宣言的記憶の意味記憶に保存されるのであろう。

 一方「書く」ときに使われる記憶は、手続き記憶であろう。自転車の乗り方や水泳と同じである。しかし「書く」という行為は「読む」あるいは「聞く」「話す」という行為と密接に関連(連想)があり、他の手続き記憶とは違う。また自転車の乗り方は一度覚えると忘れないが、「書く」ほうはそうでもないようだ。ただし漢字は多すぎるので比較できないかもしれない。

 簡単な漢字であれば、「読む」という行為の記憶をワーキングメモリにとどめ、それを元に手続き記憶に頼らなくても書くことは可能であろうが、複雑な漢字(例えば「薔薇」など)は、ワーキングメモリに呼び出された記憶は10円玉のように曖昧で、「書く」ことはできないであろう。やはり漢字の書き取り練習は必要と思われる。

 「話す」という行為も基本的には「書く」と同じく手続き記憶と思われる。昔同僚の中国人から聞いた話だが、親戚に朝鮮族の人がいて、その人の話を理解することはできるが、自分は話すことが出来ないと言っていた。「話す」という行為を行ったことがないからだろう。外国語の習得にはこのあたりの記憶の違いを考慮して、学習指導すれば効率的になるのではないだろうか。
 
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tag : 漢字 記憶

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宮城県出身。寅年生まれ。おうし座。B型。左利き。赤緑色盲。たそがれのプログラマー。

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